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フェニーチェ歌劇場来日公演《オテッロ》(2013年4月19日オーチャードホール)

武田雅人

指揮:チョン・ミョン・フン
演出;フランチェスコ・ミケーリ
装置;エドゥアルド・サンキ

オテッロ;グレゴリー・クンデ
ヤーゴ;ルーチョ・ガッロ
デズデーモナ;リア・クロチェット
カッシオ;フランチェスコ・マルシッリア
ロデリーゴ;アントネッロ・チェロン
エミーリア;エリザベッタ・マルトラーナ
ロドヴィーゴ;マッティア・デンティ

 演奏面ではやはり小粒で、もどかしさの残る公演でした。
 「やはり」というのは、以前にサントリーホールで行われたスカラ座管弦楽団のコンサートでチョン・ミョン・フンが振ったヴェルディの序曲があまり良くなかったので、今回もそれほど期待はしていなかったからです。しかし、晩年の作である《オテッロ》ならば、伝統的なイタリア・オペラが体質的にあっていない指揮者でもあっても、あるいはうまく振れるのかもしれない、という淡い期待はありました。残念ながら、チョン氏にヴェルディは向いていない(少なくとも私の好みではない)ということを再確認することになりました。
 幕開きの嵐の音楽がまず違います。紗幕を使った薄暗い舞台さながらに、爆発すべき音に何か薄い幕がかかったようなよそよそしさがありました。過去に私が感銘を受けた《オテッロ》公演の指揮者たち、たとえばクライバー(81年スカラ来日公演)、グァダーニョ(94年ヴェローナ)、ゲルギエフ(03年MET)、ムーティ(03年スカラ来日)、フリッツァ(09年新国立)などは、冒頭から一気にドラマの中にぐいぐいと引っ張り込む熱気と圧倒的な緊張感を感じさせてくれたものです。ミケーリのやや説明過剰な演出(布を使ってうねる海面を表現し、そのうえを船の模型が大揺れに揺れながら航行してゆくさまを見せたりする)も、エネルギーがほとばしるような激しい音楽のもとであればもっとさまになったに違いありませんが、なんとなく間抜けで滑稽なものに見えてしまいました。
 ただし、全体に音の爆発が足りないと感じたのは、あの抜群に響きのよいフェニーチェ座の音響を前提にして音を組み立てていたということもあったのかもしれません。当日、私の席は一番舞台からは遠い3階席の2列目という場所ではあったのですが、本来音は高い所に飛んでくるはずです。オーチャードホールってこんなに響かないホールだったっけ、と首をかしげる思いです。2005年のフェニーチェ座来日公演も、同じオーチャードで聴きましたが《アッティラ》(ベニーニ指揮)の音量に全く違和感を感じなかったわけですから、オケの実力の問題とは思えません。やはり指揮者の感性の問題なのでしょう。ヴェルディのスコアには、フォルテ3つからピアノ3つまでのダイナミズムが書き込まれているのに、生演奏でその振幅の激しさが聴衆に届かなければ、意味がないと思います。

 題名役のクンデは悪くなかったと思います。新時代のテノールと鳴り物入りではやし立てるほどではないようにも思われますが、もっと相手役や指揮に恵まれれれば、面白いオテッロができそうです。ロッシーニも歌うテノールと聞いていましたので、もっと軽い声かと思いましたが、声質は明るいものの硬質で直進性のある響きがあり、アーティキュレーションの鋭さもあるので、ドラマティックな表現もできるようです。
 デズデーモナのクロチェットも、透明でリンギングのよい美声でイノセントな役柄によくあっていました。ただし、この役をやれる美人歌手も数多いなかで、容姿(かなりの肥満体)をカバーするほどに得難い声と歌唱技術を持っているとまではは言えません。エミーリア役の小柄でほっそりしたマルトラーナと抱き合うと、どちらが貴婦人なのかわからず、見た目はあまり説得力のある舞台になりませんでした。
 歌手の中ではヤーゴ役のガッロが、チョンの指揮と並んで今回の公演を物足りないものにしていた元凶といっていいかもしれません。細かい演技や歌唱は悪くないのですが、肝心の声がヴェルディ・バリトンとしての力も響きもありません。ヤーゴの見せ場である第2幕、<悪のクレード>に始まり、オテッロの心に疑念を植え付け、嫉妬心を駆り立ててゆくプロセスで感じさせるべき悪魔的、邪悪な性格を表現する凄みが足りないのです。

 しかし、2009年9月に新国立劇場公演でリッカルド・フリッツァ指揮の《オテッロ》を聴いたときに私は次のように書いていました:「ヤーゴのルーチョ・ガッロは、それほど声のパワーがあるタイプではないのですが、新国立では十分に響き、不足感はありません。技巧派らしく、歌唱、演技ともに達者で、くっきりとした悪のイメージを造型できていたと思います。年齢とともに声の重みが加われば、ヌッチのようなバリトンになるかもしれません。」この違いは何なのか。オーチャード・ホールは新国立よりはいくぶん箱が大きいことはたしかですが、音響がそんなに悪いとは思えません。本人の調子もよくなかったのかもしれませんが、指揮と演出の問題も大きかったような気がします。
 ミケーリ演出、サンキ装置のプロダクションは、アイデアとしては面白い部分も多く、それなりに楽しめるものでした。中央で出たり入ったりする大きな箱は、回転して内部を見せるときは居室になり、外側を見せるときには壁に星座を象徴する絵が描かれています。この星座の図柄は舞台前面の紗幕にも描かれており、濃いブルーの色調とともに闇と星辰に支配される運命を象徴しているのでしょうか。中央は獅子座で、おそらくヴェネチアの象徴であるとともにオテッロの象徴、右手におとめ座、天使のような羽がありおそらくはイノセントなデズデーモナの象徴、左手にうみへび座(Hydra)らしきもの(頭がふたつある)、おそらく嫉妬心とヤーゴの象徴、と思われます。
 この壁面には豆電球が散りばめられており時には光って夜空の星になるという凝ったしかけ。一見シンプルな装置ですが、なかなか手が込んでいます。一方で、足に車輪のついたベッドが大活躍。男性の登場人物やコーラスは近代的な軍服を着ており、ヤーゴとロデリーゴは士官用の居室のベッドの上で密談にふけり、第1幕の合唱シーンでは2段ベッドがたくさん並んだ兵舎の中で兵士たちが大騒ぎをするという設定になったりします。ドラマは常に寝室で進行するという寓意でしょうか。密でよく考え抜かれた構成なのですが、どうしても観るものの視線が人物や装置の動きを追うのに忙しくなり、音楽に集中できない面がありました。

 通常と違うユニークな演出も多かったのですが、一例としては、第1幕の幕切れのオテッロとデズデーモナの愛の二重唱の終わりに<un bacio(口づけを)>とオテロがささやくところ。なんとベッドに横たわるデズデーモナのすそをめくって素足をあらわにし、オテッロは足首に接吻するのです。ちょっと《曽根崎心中》で縁の下に潜む徳兵衛がお初の足に語りかけるシーンを思いおこさせます。もし、デズデーモナをネトレプコあたりが演じていたら最高にエロチックなシーンになったことでしょう。
 そして一番議論を呼ぶのは、最後の結末です。デズデーモナを絞殺した後、オテッロはヤーゴに騙されたことを知り、わが身に短剣を突き立てるわけですが、このシーンに入る前にデズデーモナの死骸が横たわる寝室は回転して見えなくなり、モノローグを歌うオテッロの背後にデズデーモナの亡霊が立つのです。亡霊はオテッロの手に短剣を握らせ、胸に突き立てるように指示します。オテッロは短剣をふるったあと、<un altoro bacio…É.(いまいちど口づけを)>と言いながら、崩れ落ち、立ったままのデズデーモナの手に接吻しようとして(ここでも足に接吻すればもっと面白かった)こと切れるわけです。
 ところが、驚かされるのはそのあとです。オーケストラの後奏が鳴りやまぬうちに、オテッロの方も起き上がり、ふたりの亡霊は後ろ姿をみせて抱き合いながらゆっくり舞台奥に去っていくのでした。
 救いようのない深い悲嘆と後悔に苦悶しながら死んでゆくはずのオテッロの魂が、妻の深い愛によって救われる、という大どんでん返し。通常の結末では悲惨すぎるというのもひとつの考え方ではあります。しかしながら、日ごろの小市民的な日常ではありえないような劇的な悲嘆に魂を揺さぶられることによるカタルシスが悲劇の効用であるとすると、それにちょっぴり水をさされたような気分がしないでもありませんでした。

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