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 余は如何にして編集者となりし乎 1990年 25歳

某コンピューターメーカーの社長取材。若造のくせに偉そう。 某コンピューターメーカーの社長取材。若造のくせに偉そう。


  この年の3大事件を列挙すると

1, B&B勉強会の立ち上げ
2. はじめて海外に行く
3. 土曜会に参加する
 となるだろう。

 まず仕事の方は、「カレント21」では何にでも挑戦してやろうということで、手当たり次第に挑戦していたように思う。やってみれば、なんとなく形になったものだ。自分で思いついたネタだけでなく、山一からのビジネス情報、企業情報、社外で出会う人からもらう情報、長田渚左氏からの情報を混ぜこぜにしていた。当時はバブルだったので、山一のような一般企業にも賛助金を得ようと、映画製作のような派手なネタが次々と舞い込んでいたのだ。
 リニューアル第2号は、日産のインフィニティをヨイショして3万部買い取らせることに成功。発行部数が6万部になった。この号を地下鉄で熱心に読んでいる人(しかも自分で書いたドトールコーヒーの鳥羽社長の記事を読んでいた)を発見して、思わず目頭を熱くしたりもした。経験者はわかると思うが、あの快感はなんともいえない。
 某生保の冊子も全面リニューアルし、神田陽子という講釈師に、ベンチャーから始めて一部上場まで上り詰めた成功者をインタビューさせるという取材を5回行った。これはネタだけ決めて、途中で後輩にバトンタッチした。

 佐々淳行氏を昭成会に招聘したら、彼が主催する土曜会に招かれた。これは佐々氏が東大時代に左翼勢力に対抗するため立ち上げたもので、今は40代以上の人が中心であるが、若い参加者も欲しいということで声がかかったということらしい。社会の第一線で活躍している人が、専門分野や政治経済の状況分析について毎回レクチャーしてくれるので本当に勉強になった。また、中堅の官僚、ビジネスマン、メディア人との貴重な出会いの場でもあった。私は重要な友人への利益供与として使わせていただいた。場所は某メーカが日本橋のビルの一室を提供してくれた。1996年まで、素晴らしい場を提供していただいたと感謝している。

 この春、木谷氏に誘われてBest & Brightest(以下B&B)という勉強会の創立に参加した(他の創立メンバーは弁護士と博報堂のコピーライター)。この年の暮れの勉強会には100人を集めるまでに成長した。この会が今後10年間の私の根城になるのである。
 木谷氏の方針は1.輝ける人々を集めること 2.アホは徹底して排除すること。そのため名簿をつくってメンバーを固定化することはしない 3.コアメンバーを強化すること といったことだろうか。下から積み上げてのし上がっていくのではなく、今ある優良な資源=意識の高い同世代の人間を糾合し、共に高め合って行こうという合理的な発想である。

 最初はメンバーにFAXで案内状を流していたのだが、翌年からは毎月一回幹事が集まって封書に案内状を詰めて切手を貼るという「発送作業」を行うことになった。この気が遠くなるほど煩瑣な作業は1994年一杯まで続いた。その後ハガキコピーになり、1997年春にはすべてEメールに切り替えられた。だが、今から考えると発送作業以外にも、講師に挨拶にいったり、二次会場の下見にいったり、勉強会の運営には膨大な手間を掛けていたものである。それはとりもなおさず、われわれにそれを支える情熱があったということを意味する。また「われわれ」という修辞は私に同志がいたこと、私が社会的な活動をしていたということを表している。私は孤独から脱していたのだ。

 「カレント21」については1991年新年号から、ロゴも含めてデザインを全面変更した。当初は新デザイナーとはケンカをしながら仕事していたが、半年もするうちに息がばっちり合ってきた。
 またこの新年号からは毎回竹内宏氏にコメント取材することになった。少しずつ変化を付けて、山一のうるさい部長たちを満足させつつ請求金額を引き上げる作戦である。最終的には一冊「カレント21」を作ると私の一年分の給料が出るまで請求金額を引き上げることに成功した。それを年6回作っているのである。私は山一に食わせてもらい育ててもらったと、なんの衒いもなく言うことができる。
 3月には、香港へ社員旅行でいった。始めての海外渡航で、人の裾にすがるようにして行動していたように思う。私にとって海外は異界であった。しかしそれに懲りずに秋には、友人に誘われてヨーロッパに出かけた。英語のできない二人組の珍道中だった。私にはフィレンツェのドゥオーモもベネツィアの大運河もただ珍しいものでしかなく、それが文化の結晶であることが理解できるようになるまでにはなお多くの年月が必要であった。


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