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 余は如何にして編集者となりし乎 1987年 22歳

武蔵野市の自宅から見た風景。この景色を見ながら、原稿を書いていた。武蔵野市の自宅から見た風景。この景色を見ながら、原稿を書いていた。


  私は、好奇心と未熟な文章表現力だけを持って入社した。

 私の選択肢は、プレジデント社と某映画会社であった。この映画会社は大企業だし、私は映画好きではあったが、映画が斜陽産業であること、映画界に入っても映画作りに関係するわけではないので、それなら編集者の方が個人の能力を高めることができるのではないかという漠然とした印象によってプレジデント社を選択したのである。

 配属先は、経営教育センター企画編集部。セミナーと受託出版物の制作を行うセクションだった。私は編集採用だったので、セミナー業務は一切しなくてよいということだった。「まあ、半年もすれば編集部に配属されるだろうから、しばらくここにいて編集のイロハを教わればいいや」と思っていた。
 私の上司で指導役はT取締役であった。今から思えば、彼は才能に欠けた人物であった。しかし、当時の私にはそれを判断する術はなかった。
 私が手伝ったのは、今は亡き山一證券が株式公開営業のために個人事業主(企業オーナー)に配っていた「カレント21」という隔月刊36ページの冊子で、10万部も刷ってゴミ扱いされていたのを、カラーページを入れて3万部にしたところだった。しかし内容はマイナーで、スター的な評論家や有名人は全くと言っていいほど誌面を飾っていなかった。



 勉強にはなった。

 原稿の読解力、
 写植や版下の扱い方
 紙の発注
 写真やエディトリアル・デザインの基礎(デザイナーが親切に教えてくれた)

 印刷の善し悪し、価格交渉

 こうしたことをトータルに学び、自分で媒体を設計し、経営する力を養うことができた。

 それにしても、退屈な日々だった。
 T取締役は私のことをよほどのバカだと思っていたのか、なかなか取材に同道しなかった。そこで私はひたすら郵送されてくるつまらない原稿を整理入稿し、写植の打ち上がり(電算モニター)を校正する毎日を送っていた。はじめて取材に出たのは、年の暮れのことだった。銀座の天賞堂の鉄道模型コーナーに行って、「誰か鉄道模型が趣味の経営者いない?」と聞いてきたネタの取材である。自分で原稿を書いたのもこの時がはじめてであった。当時の私の文章は非常に生硬だったので、これが嫌われたのかも知れない。
 そうしたほとんど学生時代と変わることのない退屈な日々のなかで上記の出来事だけが、かぼそい光芒を放つものである。

 後に私の人生に大きな影響を与えることになる佐々淳行氏との邂逅がこの年最大の事件であったと断言できる。T取締役がどこかの講演録を見て、原稿を発注していたのである。8月のある日、昼飯から戻った私は、「またくだらない原稿だろう。あ~あ、つまんねえなあ」とたかをくくりながら彼の原稿を一読、一驚を吃した。あさま山荘事件の、現場指揮官しか知らない生々しい攻防の模様が、達意の文章でしたためられていたのである。「これは凄い!」。呆然としているところになんと見事なタイミングで本人から「原稿届いた?」と電話が掛かってきた。私は受話器を握ったまま最敬礼していた。
 席に戻ったT取締役に「これは素晴らしい原稿です」と手渡すと、彼は一読後、「いや、注文した危機管理十箇条が書いてないからこのままでは掲載できんな」とのたまった。私は彼の凡庸さに目がくらむ思いがしたが反面、その話を聞きに行くことを口実にして佐々氏にお目に掛かる機会ができたので欣喜雀躍した。

 土曜日の午前、われわれは佐々氏を総理府内閣安全保障室長室に訪った。彼は2時間程度時間を割いてくれた。私は正直、「私の生涯の間に、これほどの人物に、あと10人遭うことができるだろうか」と思った。彼にはこの年のうちに再再度お目に掛かる機会を得ることができた。

 反対に最低の経験を思い返してみると、思い出すのも嫌なことだが、某健康食品メーカーの社長が書いた自費出版本の制作をやらされたことだ。この本の原稿はあまりに質が低かった。いかに自費出版とはいえ、こんな低俗な本にプレジデント社の社名を入れても良いのかと思った。

 他に、某マンションメーカーの依頼で、海江田万里の相続税関係の本を作ることになり、相当勉強して大部分は自分で書いた。

 私にしてみれば、まだスタート地点に立つにも至らないほとんど無意味な年であった。


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